I
● 選者・庄司怜子
● 小さき手が角かど合はせ生み出せる青き折りづる無限の空へ 東 和子
真剣な小さな手から生まれた青い鶴の翔びたつ様が美しく詠まれている。お孫さんへの祈りでもあろうか。
● 荷に添える娘への便りは軒下に「今年もつばめが帰ってきたよ」 有賀美佐子
場面がよく見え率直で真実味がある。毎年一緒に楽しみにしていたのだろう。「今年も」が効き、喜びと温かさが滲む。
● 年毎に丈低くする庭の松夫の老い就く目盛のやうに 桐山律子
庭の松の姿から老いの進む夫へと転ずる気付きにも無理がない。説得力もあり、情景の見える思いのこもった一首である。
● 背伸びしてもわれには届かぬ藤の蔓空へ空へと向かふ明るさ 小林千恵子
上へ上へと伸びる蔓に着目し「空へ空へと向か不明るさ」と着地したところが心憎い。前途洋々、読んで嬉しくなった。
● つばめ来て朝の会話の少し増ゆ夫が二言わたしが三言 加藤綾子
おかしみがある。燕は幸せを運ぶ鳥とか。二人の日常がよく見える。「二言、三言」がもし逆だったら素通りしただろう。
● 宙に浮くまどかなる月 文月の今宵は語彙を織る織女とならむ 新藤美千代 近づきつつある七夕に引き寄せての一首か。語彙を織る織女になれたでしょうか。見せていただくのが楽しみです。
● 瀬戸際の命を生きる友の庭 丹精こめしあじさいの咲く 長頭朝代
淡々とした中に友への思いと祈りが伝わる。大切に育てていた友の日常と今を知っているだけに花の美しさがしみる。
● 割り箸を口にくはへる「あいうえお」こころの言葉伝はるやうに 桑田さちこ
お馴染みのお口の体操。口は元気のもと。だから今日も気を入れて。「こころの言葉伝はるやうに」に行き着いて成功。
● 選者・柿沼寿子
● わが田にて孵りし蜻蛉一号よ生きてつがいて命継ぎゆけ 斉藤忠弘
蜻蛉ばかりでなくすべての生命に対しての賛歌であって、作者の敬虔な生き方が推察できる。
● 元気なる米寿の君の介護受くこの世に借りをたくさんつくり 稲葉敏子
老いや病とたった一人で戦っている人もいる中、なんと羨ましい。来世でも来世でも仲良く借りを返して下さい。
● さあ降るといはむばかりの空の下鳥は騒めき人は狼狽ふ 吉本かずえ
ホラー映画のオープニングのような光景。身構えながらも少しワクワクする作者と周囲の騒ぎの落差がおもしろい。
● 受け取りし元気でニャンの絵手紙にこころ開きて大笑ひする 河村千代
絵手紙に描かれた猫が「元気でニャン」と言っている表情を想像してみる。大いに元気になったことでしょう。
● 忍冬花(すいかづら)の甘やかな香に包まれて主なき家の庭のしづもる 栗林洋子
『秘密の花園』のような人のいない忘れ去られた庭を連想した。甘い香りの静かな庭は虫や鳥の天国でしょう。
● 蒲公英の絮毛飛ばして遊ぶ子らあつけらかんと空晴れわたる 白石則子
空の明るさと子供の無邪気さがよく呼応して空へ高く昇って行くような気分の良さがある。
● 三度呼ぶレンジに「ハイスミマセン」朝の厨に独り芝居す 山下豊子
以前「まづは独りの食事の支度せむ厨」と詠んだ作者。声を出すことで明るくなれるということも現実である。
● 「推敲」はパズルを解くに似てをりぬ歌となるまで言葉を探す 迎みどり
作歌イコール推敲、その苦しさを娯楽として楽しむ作者。締切さえなければ最高にたのしい時間となる。
II
● 選者・若菜邦彦
● 六月のワールドカップ草原を奔る野獣のごとき戦い 秋元恵美子
ワールドカップの歌はタイムリーだ。「草原を奔る野獣」の比喩で、「奔る」の表記で躍動感が強調された。
● 吹きわたる心の襞の奥までも緑の風の清しき朝に 津嶋けいこ
初句が蠱惑的。私は初句切れとして味わった。すると、人の心の奥深さが誇張されて、宇宙の闇が広がって来る。
● 蛍火を一つ二つと指差して童にかへる夜のひととき 山本啓子
短歌だけでなくこのような方法でも童に返ることができるのですね。幼き頃の白秋の姿をも彷彿させる貴い一首。
● ほんとうの孤独寂しさ知らずしてバーの端っこでバーボンを舐む 柳澤賢一
バーボンは主にアメリカのケンタッキー州で製造されるアルコール度数の高いウイスキー。「舐む」は男の美学だ。
● 空虚さが波紋となりて広がりぬ友の急なる移転の知らせ 鷺谷祥子
上の句の「空虚さが波紋となりて広がりぬ」だけで妙に達成感のある一首だ。あとはさらりと表現するに限るのだ。
● 車窓から日差しが強く入り込む優先席にじっと目を閉づ 海老原輝男
私たちになじみの深い優先席の歌であるが、この歌は一味違う。目をつむって人生に耐えている感じに詩情を覚える。
● 短歌(うた)を詠み時を忘れてすごす日々夫(つま)亡き空虚重たくならぬ 篠崎瑠美子
空しさにも目方があるのだ。その秤は文字によって培われた作者の人生観である。ここまで来ればしめたものである。
● わが歌はベッドのそばに転がってる歌ばかりだ寝たきりになって 村上孝子
結句は種明かしになっているという批評もあるだろうが拘らない点が良い。旅に出たいという思いがぴんぴん伝わる。
Ⅲ
● 葉を揺らしそよぎの波を立てゆける五月(さつき)の風は肌もなでゆく 小野和子
二句からの「そよぎの波を立てゆける」は感性の鋭さを物語る。つづく下の句は女性ならでの優美さの極致だ。
● 駅前の高層ビルのマンションに罪の意識もて住まいいるわれ 百崎大次
罪の意識持たずに生きている人間をわたしは信用しないが、この歌の趣は深刻でなく、そのユーモラスさが捨て難い。
● 田に水の張れず田植えを諦めて苗の貰い手探す無念さ 北島 功
下の句の作者の無念さは筆舌に尽くしがたいものがある。少々の無念さに負けてはならないと背中を押される印象だ。
● 今日もまたペンを忍ばせ家を出る短歌(うた)の花咲くお題ないかと 太治ミサ子
作者の人柄であろう。向日葵のような向日性の明るい歌で励まされる。人知れず努力する大切さに胸を打たれた。
● 女孫の書く家系図に"お母さんを生んでくれてありがとう"嗚呼(ああ) 北村きあ子
家系図を書く女孫という素材そのものが詩的でドラマチックである。" "の中は泣かせどころ。誰もが絶句するだろう。
● 夜更けまでパソコン越しに語りをり見えぬ相手は人ならぬヒト 長谷川智枝子
「人ならぬヒト」とは AI(人工知能)のことである。言い得て妙なる表現だ。亡くなられた夫との対話かも知れぬ 。
● 畑には色とりどりの帽子見え見え鎌持つ娘の面影の顕(た)つ 細川蔦子
連作を見ても娘さんが亡くなられたことを露骨に表さず、詩に昇華している。今後も母親を支えてくれる故人である。
● 遠き日の日だまりのなか夫(つま)と食(は)む苺は甘く口にやさしき 梶原啓子
回想の歌のシチュエーションが見事。初句二句の時空に幸福感が満ちあふれている。素晴らしい伴侶であったのだ。